1962年にGPマシンを市販してしまうホンダ……
ファンの脳裏に焼き付いて離れなかった超精密マシン
ホンダは1962年、世界GP挑戦のカテゴリーを50ccにまで拡げた。
50ccという小排気量は、爆発回数が倍の2ストロークが優位……そんな常識クソ喰らえとホンダは2ストの2倍の高回転まで回すマシンで対抗してみせたのだ。
スーパーカブの成功から、50ccでもそんな目を見張るパフォーマンスをアピールするホンダに、世界中のファンが熱い視線を注いだのはいうまでもない。
しかもGPマシンRC110が初挑戦したこの年に、ほぼレプリカの市販レーサーを発表、さらには公道仕様も加わり「カブレーシングCR110」として発売。
その後、2スト勢が多段ミッションで狭いパワーバンドを補いながらポテンシャルを高めるのに対し、ホンダは2気筒化に20,000rpmと当時は途方もない超々高回転型エンジンで覇権争いから一歩も引かず、1966年には50から125、250、350、そして500ccクラスで、メーカータイトルを全制覇するのだった。
スリムで繊細な設計のRC116ツインは、これを操るチャンピオンのL.タベリ・R.ブライアンズ両選手の職人ワザのライディングと共に憧れの的。
初期に限定生産しかされなかった市販レーサーのCR93(125cc)CR72(250cc)は幻のマシン、CR110もそんな夢のマシンとして語り継がれる存在となっていた。
CR110イメージはカムギヤを奢り
35年後に甦らせたまさに大人の夢マシン!
そんな夢のマシンを、ホンダは1995年の第31回東京モーターショー」に、このCR110を彷彿とさせる「ドリーム50」を参考出品。’60年代に思いを馳せる40代から50代の大人たちを震撼とさせたのだった。
どこから見てもあのカブレーシングCR110にしか見えない凝ったつくりに、多くのファンが発売を熱望した。
そしてまさかの世界最小となる50ccのDOHCで4バルブの単気筒ツイン・メガホンマフラーという、まさに大人の夢をかなえたマシンとして1997年から発売されることとなったのだ。
大メーカーでも少量生産でファンに応える、
ホンダにしかできなかったパッションのバイクたち
そのデザインはまさにCR110イメージの継承そのもの。
エンジンはホンダのワークスマシンで必須のカムギヤトレーンを象徴する、DOHCカムカバーが大径化したフォルム。
さすがにすべてギヤで繋ぐと諸々をクリアしにくいため、シリンダーヘッドまではチェーン駆動で、そこから吸気と排気のカムシャフトをギヤトレーンで駆動している。
ダウンチューブを持たないダイアモンド型式のパイプフレームは、まさに’60年代の美しさの継承が完璧で、大人たちは各部をチェックしてはため息をついていた。
またGPマシンとカラーリングイメージを同じくした赤と黒のバリエーションも追加されている。
そんなドリーム50の価格は税抜きで32万9千円。
因みにボア×ストロークは、40.0×39.6mmの49cc、最高出力は5.6PS@10,500rpm、車重は81k。因みにカブレーシングCR110は、40.4×39mmで49,99cc、レース仕様だと8.5PS@13,500rpmで車重は61kg、ミッションもドリーム50が5速なのに対し何と8速だった。
ホンダは新しいところではMotoGPマシンレプリカの公道仕様であるRC213V-Sを限定販売しているように、ファンとメーカーとの両側がパッションで繋がると、大メーカーらしくない採算度外視の少量生産をしてしまうメーカーだ。
その無茶ぶりに、ファンは心を躍らせ限定の注文に殺到を繰り返してきた。
そんなホンダらしさが、今後も失われないようファンのひとりとして願うばかりだ。