諦めずひとり粘ったカワサキだけが獲得したZZRカテゴリー!

カワサキは1980年代、いわゆるレーサーレプリカをスポーツバイクの頂点とはせず、あくまでスーパースポーツが最高峰に位置する製品をラインナップしていた。
そして車名もZZ-R(ZZR)といかにもカワサキらしい、重厚で硬派なイメージを確立していったのだ。
その初代が1990年のZZ-R400。1100から600、そして250までZZ-Rシリーズの構築を果たした。

それを象徴していたのが1985年に登場したGPZ400R。
Z400FX(1979~1982年)で築いた400ccクラスの中でも優れたハンドリングの評価で得たファンの信頼性もあって、フルカウルのモデルでは異例の人気モデルとなった。
そのグラマラスな風貌とALCROSSフレームで軽やか且つ剛性たっぷりの安定感と共に、レプリカモデルたちとは別格の乗り味を誇っていた。
続く1987年、GPX400Rを投入、レプリカ一辺倒な流れにあってGPZ400Rのヒットにアンチレプリカ且つ身近な400スポーツという企画だったが、ほぼ覚えている人がいないほど売れない失敗作だった。


苦肉の策でGPZ400Rを延命させて穴埋めをはかったカワサキが次に仕込んだ戦略が、最速フラッグシップZZ-Rへのラインナップ化だった。
GPZ900R、GPZ1000RX、ZX-10と続いた進化は、1990年のZZ-R1100でひとまずの区切りとする究極のモデルで、これにZZ-R600、ZZ-R400、そして2気筒で別格だったがZZ-R250も加えシリーズを構築しようというのだ。


当然ながら、ZZ-R1100が超特急スーパースポーツながら実用性へ大きく配慮したキャラクターだったのに追随して、新たに1990年にリリースされたZZ-R400/600は、明確にスポーツツアラーを前面に打ち出していた。
新設計された水冷DOHC4気筒は400cc専用のZX-4系とは異なり、ZZ-R600(100PS)をスケールダウンしたボア57.5mm×ストローク38.5mmの399cc。
最高出力は58PS/12,000rpm、最大トルクが3.7kgm)/10,000rpm。
クランクシャフトは6点支持となりパワーの取り出しは従来のセンターギヤからクランクカウンターにギヤを刻む方式で駆動ノイズを大幅に減少させている。排気系は4-1-2の低中速重視型だ。
フレームはGPZ以来のALCROSS(AL-X)で、アルミ製ツインチューブをベースに、エンジンを取り囲むクロスパイプをさらに進化したカタチで構成、エンジン前側をラバーマウントとしながら、高剛性と軽量化の両立をはかっている。
ホイールベースは旋回性を意識して1,440mmと短めだが、全体の車格はツアラーとしての安定感や疲労軽減を狙ったややボリュームのあるZZ-Rの一員であるのをアピールしたフォルム。
またリヤシート両側にポップアップ式のバンジーフックを装備、カウル前方の左へキー付き小物入れを設けるなど、紛れもなくスポーツツアラーを意図しているのが伝わってくる。



ほどなく1993年、ヨーロッパでの競争力を高めるため大幅な変更をうけたZZ-R600と同じく、ZZ-R400もZZ-R1100と同様の前方から走行風にラム圧が加わりエアクリーナーへ送られるエアスクープがライト下になり、全体のフォルムがよりビッグバイク的な曲線を帯び、いわゆるZZR(ダブルズィーアール)艦隊らしいフェイスリフトをうけ、さらに魅力を放つようになった。
エンジンはツアラーとしての特性を重視して最高出力を53PS/11,000rpmへとパワーダウン、逆に最大トルクは3.8kgm/9,000rpmと力強くなり、実際に乗れば明確にわかるほど低中速の扱いやすさを向上させていた。
さらにフレームも同じクロスした面を表面に見せる形式を踏襲するものの、それまでアルミの押し出し成形だったのから、ZZ-R600の好調な売れ行きからコストをかけた改良をうけ、アルミのプレス鋼板と軽量化も果たしている。



こうして最終の2007年モデルまで、1997年にメーターへデジタル時計が追加されたり、2001年には排出ガス浄化システム「KLEEN」を搭載したり、2004年にフロントブレーキのディスクに開いた穴を放射状から波形状配置とするなど、細かな変更点はあれど基本を全く変えずにロングラン・モデルとなった。
因みに1993年、ZZ-R400はZZR400へとハイフンを抜いた表記へと統一されている。
他方カワサキにも1988年のZX-4に端を発したレプリカ路線が存在した。
1989年にはZXR400という、車名もルックスも紛う事無きレプリカのラインナップもリリース、ライムグリーンの車体色と共にそれなりの人気はあったが、カワサキ全体としてはメインストリーム、根幹はスポーツツアラーのZZRシリーズとして揺らぐことはなかった。
因みに日本でツアラーモデルは売れない、それが日本3メーカーの定説だったが、それを覆した唯一のメーカーとなった。
これはカワサキ自らが選んだ道を歩くフィロソフィを貫いてきたからで、諦めずにチャレンジを繰り返し、ファンもそれに追随していたからこそ辿り着いたZZRシリーズだった。