あらためて最速を掲げZZR君臨状態の構築を目指す!
1984年にデビューしたGPZ900Rが目指したのは、ズバリ最速。アメリカでの発表会ではゼロヨンと最高速を実際に披露、絶対の自信をみせ世界へ強烈なインパクトを放った。以来、GPZ1000RX、ZX-10と世界最速をアピールする路線を継承、次なる目標も最速であるのはもちろんだが、空力を含めGTツアラーとしての総合性能で他をリードする存在だった。
エンジンはZX-10をベースにボアを2mm拡大した76mm×58mmの1,052cc。147ps/10,500rpmと11.3kgm/8,500rpmを傾斜角で2°変えて搭載するアルミ製ペリメーターフレームも、ZX-10がベースながらスチール製ダウンチューブなどで強靭かつ低重心な構成としている。そのスピードメーターはフルスケール320km/hで、一部雑誌では実速300オーバーが記録されるなど、最速アピールが知れ渡った。
フランス・カワサキのキャッチコピーが「なぜここまで苦労するのか理解不能」というほど、全方位に及ぶ空力や高速安定性にハンドリングへの蓄積してきたノウハウを事細かに反映していたのだ。
なかでも空力への注力で空気抵抗係数CD値0.3を達成、そして最大の特徴はカウル前面の左側にポッカリと口を開けたラムエア取り入れ口。トップスピードの高まりを大容量のエアクリーナーボックスで加圧、キャブレター側と圧力を均一にするなど本格的なパワーアップを果たしていた。
主要マーケットのひとつ、アメリカではネーミングも定評のNinjaを冠してZX-11とイレブン(1,100ccの意味)を強調した凄みをきかせる戦略を展開。同時にZZR600共々ツーリング対応の高さやクオリティもアピールして完成度の高さを誇示してみせた。
かくしてデビュー時のC1では仕向け地によってはGRAN TURISMOと、単にスーパースポーツやフラッグシップを標榜しているのではなく、GTツーリングモデルをアピールしてファンへの浸透をはかり、その成果から評判も高まってみるみる目立ったヒットを記録するまでになっていた。
ただ国内では1989年の東京モーターショーへ参考出品されたときも、ゼファー人気に注目が集まりオーバー750の国内規制もあって注目されず。後に海外での評価に遅れるカタチで、逆輸入車のトップセラーへと一気に需要が激増した。
D型リリースでこのカテゴリーをほぼ制圧状態に!
「A Legend in Its Time」時代を超越した伝説……。1992年のケルンショーでモデルチェンジを発表したD型シリーズは、ラムエアダクトをふたつに増やし滑らかな曲面構成をより進化、サブフレーム部分と一体化したフレームや燃料タンクを増量したりリヤタイヤを180/55とするなど、さらに痒いとことへ手が届く圧倒的に完成度を高めてさらなる勝負にでた。
スペック的にはC型シリーズと大差ないが、最速かつ洗練さが加わったことで人気を絶大なものへとすることに成功。
なかでもハンドリングがフラッグシップモデルではイメージしにくい軽やかさと扱いやすさで評価も高く、ライバルなき状態を当面続けることができたのだ。
カワサキの特徴のひとつとして、硬派をイメージさせる単色のカラーリングがあるが、もういっぽうでツートンのグラフィカルな塗り分けも個性のアピールとして成功を支えた要素となっていたのも忘れられない。
ここまで直線や曲線を多用してのグラフィック処理は、後にフラッグシップを構築するライバルメーカーへも影響を及ぼしたが、手慣れた手法としての定着ぶりは圧倒的な差を感じさせていた。
1997年型から明るいパールジェントリーグレーと硬派一点張りだったカワサキのイメージも拡がりをみせ、1998年からはアンダーカウルとを塗り分けたツートンも加わり相変わらず細かな改良が躊躇なく加えられ、リーダーとしての熟成が着実に進んでいる。
そして1999年モデルからフレームを黒くペイント、最終型の2001年モデルでは、スピードメーターを320→280km/hへと改められ、排気ガス対応のKLEENを全仕様に搭載して有終の美を飾ることとなった。
2002年からはZZR1200、2006年にはZZR1400へと最速フラッグシップは進化を続けているが、レーサーレプリカ系列のZXRやスーパースポーツ側でZX-12Rと、カワサキならではの棲み分けがあり、それはとりもなおさずビッグバイクの使われ方やライフスタイルの違いをどこよりも理解しているメーカーだったからだ。