ミニトレール以来の得意なデフォルメスポーツ!
かつてヤマハは1972年、オフロードモデル(ヤマハではトレールと称していた)の2スト単気筒のDT系を小型にデフォルメしたミニGT50/80(略してミニトレ)を発売、本格的なスポーツバイクのユーザーが近所への足がわりとして、またスクーターで通学通勤する層にもスポーツバイクの魅力を伝える存在として、意外なほどのヒットを飛ばした歴史がある。
そんな中、1986年にスズキがリリースしたGAGは、ブームとなったレプリカのデフォルメバイクとして人気を博した。
これを見たヤマハは、本来それは得意とばかりにYSR50を同じ1986年の年末に、後を追うようにリリースしたのだった。
エンジンは1981年に発売した水冷のRZ50用ではなく、使われ方を考慮して前年のRX50用空冷ピストンリードバルブを搭載。それでもY.E.I.S.の吸気デバイスを介し、7.0PS/8,800rpmと活気のあるパワー特性へチューン。
前後ホイールは12インチとミニバイク用10インチよりひとまわり大きく、1,055mmのショートホイールベースながら一般公道で安定した走りを得られる設定としていた。
そして最大の特徴は、何とフルカウルでGPマシンをイメージさせる、ヤマハワークスカラーと人気だったフランスはゴロワーズ(煙草ブランド)のグラフィックでデビューしたのだ。
そして市場の反応が良いとみるや、これも人気だった資生堂のTech21カラーも追加、ファンをセカンドバイクとして買わざるを得ない気持ちにしていた。
さらに翌1987年には、世界GPチャンピオンマシンのマールボロ・カラー、またワークスマシンのカラーリングも刷新されたのに対応したり、全日本でスポンサーとなっていたUCCカラーも追加となった。
POPで遊べるバイクとして人気となったYSR50だったが、実はアメリカをメインに輸出モデルにもなり、1989年~1991年まで当時2ストレプリカで人気のTZR250のカラーリングを纏ったモデルをリリースしていた。
この流れに触発されたホンダは、同じ12インチホイールの水冷2ストNSR50を1987年にリリース、当然パフォーマンスで上回り、2年後にヤマハも水冷化してTZM50Rで対抗したが、そうしたエスカレートはこの層のユーザーには受け容れられず、ほどなくしてこのカテゴリーは消滅してしまった。