1971年の東京モーターショーに突如出現した750cc2スト並列4気筒、YZR500の4気筒マシン・デビュー2年前!
いまでもファンの間で幻のドリームマシンとして語り継がれるヤマハGL750。その衝撃は1971年の東京モーターショーだった。
参考出品としての展示だったが、主なスペックも表示されていて、水冷2ストローク4気筒の燃料噴射、ボア×ストロークは65mm×56mmで743cc。
最高出力は70ps/7,000rpm、最大トルクが7.5kgm/6,500rpm、5速ミッションで車重が205kg。全長×全幅×全高は2,190mm×920mm×1,170mmと発表。
当時は1968年にホンダCB750Fourがリリースされ、カワサキから2スト3気筒のマッハIIIも登場、日本勢の大型バイク進出ラッシュとなり、ヤマハも1969年に初の4ストバーチカルツインのXS-1がデビュー(発売は1970年)、スズキは2ストローク水冷3気筒のGT750をローンチというタイミングだ。
ヤマハはこの2年後から、世界GPの最高峰500ccクラスに同じ2スト並列4気筒のYZR500をデビューさせたが、そんな姿はまだ想像すらしていない世界中のファンには、いきなりの2スト大型マシンに唯々唖然とするしかなかった。
渇望されながら市販化はレーサーだけ、プロダクトは4ストで様々に開発を続けた……
この4気筒エンジン、実はヤマハが世界へその高性能ぶりとクオリティを知らしめた、YDS1~3に端を発しRD250/350で実績を積んだ2ストのパラツインを横へ並べギヤ連結した構成。
後に1973年から参戦したYZR500(0W23)で、250ccツインを横連結した構成でデビュー、同時開発されていたフォーミュラー750の認定市販レーシングマシンTZ750も水冷市販レーサーTZ350をベースに横連結、市販化されてユーザーが分解整備するのでその構造をご覧のように誰もが知ることとなった。
まさに並列ツインをセンターでミッションとギヤ連結する構造で、実績ある350ccの流用ベースのため排気量は700cc(後にフルスケールまで排気量アップ)。
ワークスマシンのYZR500は、その後エンジン幅を縮めるためスクエア4気筒と斜め上下で2気筒をギヤ連結、さらにはV型配列とコンパクト化していったが、当時は王道がシリンダーを横へ並べたボリューム感あふれる構成。この貫録あるカタチが憧れの的だった。
そしてGL750で技術的に詳しいファンが釘づけになったのが、キャブレターではなく燃料噴射を装備していたこと。
既に排気ガス規制が厳しくなりつつあって、将来的には燃料噴射で回転域とスロットル開度による細かい調整が必須とされていたので、これからも2ストロークエンジンを存続させる覚悟のあらわれとして好感をもって注目されていた。
ヤマハには極寒で使用するスノーモービルの開発生産実績があり、キャブレターではアイシングなどスロットルが凍りつくこともあるため、機械式燃料噴射の開発も視野に入れた知見がGL750で功を奏するだろうと囁かれていたからだ。
東京モーターショーでは近接撮影が難しかったが、フランスヤマハ社長の強い要請で翌年のパリサロンへ展示され、燃料噴射の様子も垣間見ることができた。因みに海外への出展はこの1回のみ。
その後、ヤマハはXS-1に続いてTS750、TX500と4ストロークはツインを続けてローンチ、XSシリーズへと名称を変えて3気筒もライイナップへ加わったが、2ストロークのロードスポーツは1980年の水冷RZ250まで影を潜めていた。
結局、幻のままに姿を消したGL750だったが、YZR500やTZ750が活躍する勇姿に、まだ一縷の望みを繋ぐファンもいたに違いない。
確かに儚い夢ではあったが、こうした夢を育める存在はスポーツバイクファンにとって何より大切な心のよりどころでもある。メーカーにはぜひともそんな夢をこれからも見せ続けて欲しいと願うばかりだ。