250cc4気筒にも初のレプリカフォルムを投入!
1983年にスズキが250ccクラスで4ストロークでは世界初の水冷DOHC4気筒エンジンを搭載したGS250FWをリリース、ヤマハも1985年にFZ250フェザーが初の気筒あたり4バルブで45psを達成していた。
ホンダは1982年の水冷DOHC4バルブ90°Vツイン、VT250Fが爆発的な人気となっていたが、1986年に水冷DOHC4気筒へGPマシン専用メカニズムと謳われた伝家の宝刀カムギアトレーンを採用したCBR250F(MC14)を発売、ライバル車から一歩遅れた形で4気筒モデルでも追随することとなった。
しかし1987年に4気筒CBRシリーズ共通のエアロフォルムを纏い、CBR250R(MC17)へモデルチェンジしたものの、ライバルが次々とレーサーレプリカフォルムとなるのに刺激され、翌年の1988年にCBR250R(MC19)へとフルモデルチェンジしたのだ。
他メーカーと違い、2本のDOHCカムシャフトを駆動するのは一般的なチェーンではなくギヤ駆動。チェーンと異なり遊びがないため20,000rpmもの超高回転域でも、タイミングのズレない正確なバルブ駆動が可能となる。
親指と人差し指でつくるOKサインほどしかない48.5mmの小さなボア径と、33.8mmの超ショートストロークによる精密エンジンにふさわしいメカニズムだ。
レプリカフォルムとなったCBR250Rは、DOHCのバルブセンターを排気側へ僅かオフセットし、シリンダーの縁に当る吸入気をより燃焼室へ送り込む効果を与えるというまさにレーシング・エンジン並みに緻密な改良を加えていたのだ。
加えて6リットルの大容量エアクリーナーには、上方の向け吸気のサウンドダクトを設け、ライダーへ吸気音を聞こえやすくする演出を加えるほど、ホンダ4気筒に首ったけになるファン心をくすぐっていた。
フレームも最新CBR400Rに倣いアルミツインチューブの断面を内側に目の字のリブがある5角形にする、剛性アップとライダーへのフィット感を高める走りに特化したチューン。
ライバルの4気筒レプリカ勢に挑むパーフェクト仕様としたのだ。
Hurricaneのロゴが消えカラーリング変更のみで翌年も継続!
レッドゾーンが18,000rpmからと超高回転設定の45PS/15,000rpmのパフォーマンスは、ホンダのどこよりも豊富なマルチ(多気筒)テクノロジーを駆使して、単にハイパーなスペック狙いではなく、いわば乗りやすさを最優先するノウハウを駆使したチューンに徹していた。
その甲斐あってか巷ではCBR250R人気へ火がつき、キャリアの浅いライダーもホンダ4気筒サウンドを求める傾向が顕著になった。
とくにホンダを驚かせたのが女性人気の高さ。とりわけブラック塗装の硬派なイメージが、スポーツバイクを選ぶ女性ファンに刺さっていた。
翌1989年のカラーリング変更のみ(MC17から引き継いだHurricaneのロゴが消えた)でCBR250Rは継続されていたが、ライバルたちはさらに過激な仕様となってCBR人気に対抗しようと躍起になっていたのだ。
これを迎え撃つカタチとして、フロントブレーキを路面追従性やハンドリングの自然なフィーリングを狙い、敢えて大径シングルのディスクとしていたのを、ライバルに合わせるダブルにするなど、CBR250Rも末尾にRRを加えるグレードへ進化する運命を辿ることとなった。
しかしこの1988~1989モデルが、最もユーザーの使い勝手に寄り添う仕様として多くのライダーに愛され続けていた事実は、歴史に刻まれ忘れられない金字塔のひとつとなったのは間違いない。