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このバイクに注目
BIMOTA
1997model

夢と潰えたビモータ自社製2スト500Vツイン!【このバイクに注目】

Photos:
BIMOTA archive

念願の自社製エンジンを2ストローク燃焼室直噴の構想へ託す!

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1972年、暖房設備工房を営んでいたビモータ(BIMOTA=創設メンバーのビアンキ・モーリ・タンブリーニの頭文字が社名の由来)は、タンブリーニが趣味のサーキット走行で愛車のホンダCB750フォアで大転倒、新たにフレームが必要になり工房のパイプベンダーや溶接機で思い描いていた理想のシャシーを制作、その出来栄えにオーダーが入るようになりオートバイ製造の会社へと転身。
ホンダのエンジンを搭載するとHB1、カワサキだとKB1、スズキはSBにヤマハはYBと、日本メーカーのエンジンを積むスペシャルマシン創りが、ドイツなど高速域を楽しむ国々で評価され世界で名を馳せるまでになった。

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ただ日本製エンジンは思うような入手が困難で、1985年に同じイタリアのドゥカティから供給を受けることに成功、名車db1を大ヒットさせたがそうした道を辿るほど、経営の安定と繁栄には自社製エンジンが望ましいのは明らか。
そんな折りに英国の研究機関が、排気ガス規制で将来性の見込みがないと言われていた2ストロークエンジンを燃焼室への直噴技術でクリーン化する開発を進めていて、ビモータは提携を結ぶことで念願の自社製エンジンを実現する一歩を踏み出したのだ。

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その構想は、機械式の開閉バルブを持たない2ストロークが、燃焼室から排気ガスに未燃焼の吸気を排出するのを、クランクケースの1次圧縮は空気のみで燃焼行程で燃焼室に燃料を直噴することで未然に防ごうというもの。
さらに2ストロークの排気ガスでもうひとつのネガティブだった潤滑で、ポンプによる分離給油化はしていたが所詮はガソリンと潤滑オイルが混じるので、この燃焼による白煙やカーボンも、クランクシャフトへ極く少量を直接給油する方式で燃焼質へリークするのは極く僅かで済むと説明されていた。
このテクノロジーを駆使して水冷500ccを90°のVツインで設計、振動対策を兼ねお互いが逆回転するギヤ連結で、Vバンク間に吸気のエアフロー系を配置した超コンパクトなエンジンが開発された。
1996年のケルンショーでの発表に続き、1997年からリリースされると謳った500Vdue(dueはイタリア語で2、ツインの意味)は、72.0mm×61.25mmの499ccで110HP/9,000rpmと9kgm/8,000rpmのスペック。
レース仕様は135HP/11,200rpmが可能。これにホイールベース1,340mmで乾燥重量134kgと聞けば、世界中の2ストファンにまさしく羨望のマシンとなったのはいうまでもない。

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エンジン開発と生産の遅れに出荷開始直後からリコール……

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ビモータは同じイタリアの小メーカー、モリーニにエンジン製造を依頼、しかし開発の最終段階で、初の試みであるエンジン調整に手間取り、製造ラインであるモリーニ社からの納期も遅延するなど、ビモータ社は資金繰りを危うくする事態が続いた。
とはいえ発売開始しないことには換金できない。調整は後日情報をインポーターへ伝達すればということで急ぎ輸出をスタートさせてしまったのだ。

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ところが低回転域で加速が途切れたり、高回転のピークへ繋がるあたりに問題がでるなど解決の糸口が見つからないまま。
仕方なく全車リコールの対象として、在庫車輌を急遽キャブレターへ換装する開発も進められたが、それも時間がかかりビモータはこれを契機に経営破綻に陥ってしまう。
こうして念願だった自社製エンジン搭載の構想は夢と潰える結果となった。

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ビモータは新たな資本で2003年に復活。Vdueのデザインを手がけたロビアーノによるDB5が成功を収め、後のハブセンターステア先駆車、Tesiも復活を遂げるなど現在へ至る歩みを積み上げ、いまはカワサキをパートナーとするプロジェクトに専心しているのはご存じの通り。