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このバイクに注目
YAMAHA
FZR250R
1989~1995model

250でアルミ鋼板溶接の400・750・1000と同じデルタBOXフレームを奢った贅沢三昧のFZR250R!【このバイクに注目】

YZRやYZFワークスマイン直系のデルタボックスフやEXUP装備とコスト高おかまいなしのファイナルFZRだった!

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ヤマハの250cc4気筒は1985年4月のFZ250 PHAZERがルーツ。
250ccの4気筒では初の気筒あたり4バルブの16バルブを搭載、特徴的なストレート吸気のためシリンダーが45°に前傾したジェネシスと呼んだエンジンで、最高出力は45PSを何と14,500rpmの超高回転域で発生、16,000rpmまで許容する当時最先端の極みを象徴した仕様だった。
ところがルックスはカジュアルで都会的なデザイン。この革新的なPHAZERフォルムがうけないとみるや、ヤマハは水面下で用意をしていたかのように、翌1986年になると他メーカーに先駆けたレプリカフォルムでフルカウルのFZR250をリリース。
カウルの内側はスチールフレームのPHAZERだったが、当時は最もピュアレーシーなスタイルで、ヤマハファンのみならず多くのライダーが殺到。
この好調ぶりに黙ってないのがライバルたち。一斉にフルカウルにFZRのスチールフレームに対しアルミフレームを投入してきた。 迎え討つヤマハは、レプリカ路線に中途半端は意味がないとばかりに、レースで培ったテクノロジーをそのまま注ぎ込むことを決断。
1989年、末尾にRを加えたFZR250Rをリリース、ただその仕様の凄さにファンを驚愕させたのだ。

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何といっても最大の驚きはそのフレーム。ライバルがアルミ製といってもスクエアな断面の押し出し成形なのに対し、世界GPマシンのYZR500と同じように成形したアルミ鋼板を溶接で組むという、必要強度の配分に自由度のある高度な仕様をそのまま反映した手間もコストも250ccでは考えられないハイエンド仕様だったからだ。
いくらレプリカといっても、250ccのパフォーマンスでそこまでデリケート且つ軽量で剛性バランスを求める必要があるのか……そんな呟きが出るほど過剰ともいえる仕様だが、FZR250に「R」を加えた車名にする以上、ヤマハはそこに躊躇はなかったようだ。

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エンジンは前モデルの最終型にも装着した排気可変デバイスのEXUP装着を前提に、オイルパンの位置を前方へ移動しつつEXUPの機構を含め低重心化、燃焼系では吸気を楕円から真円へと吸気口を拡大、自主規制の上限45PSを前モデルのリミッター域だった16,000rpmでピークパワー発生と、回そうと思えば20,000rpmも可能というとてつもない次元までチューンナップ、排気管の背圧をエンジン回転域で可変としたEXUPがもたらす、超高回転エンジンでも低回転域も粘る乗りやすさも両得していた。
また最終型ではZEALと共用の40PSエンジンへ換装、オイルフィルターをクルマや大型バイクのようにカートリッジ式としてユーザーの利便性も高めていた。

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この豪華に凝った仕様でも、車重は乾燥とはいえ141kgしかない。リバウンドをたっぷりとったヤマハらしい路面追従性と、前輪がひたすら安定した弧を描く旋回のハンドリングは万人に冒険心をくすぐる扱いやすさ。 しかし毎年あの手この手で競争するライバルたちと違い、ヤマハは見えない箇所の熟成に徹する、いわば頑固なメーカーで、この時代のピッチでは鮮度を失っていく呪縛に縛られつつあった。

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1990年にはFZR400RR同様のプロジェクター式デュアルハロゲンヘッドライトを採用したスラントノーズに外観デザインを一新。
フレームは基本レイアウトこそ変わらないものの、フレーム外側の板厚を2.3mmから3mmへアップし、高剛性化された。

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その後、新しい排気ガス規制でエンジンを対応したZEALとの共用エンジンで、低中速域でいっそう力強くなりツーリングなどにもよく対応した機種となったが、もはやレプリカ・ブームは終焉期を迎え、ヤマハらしく本格的にレーシーな広告表現をアピールしても以前の勢いを取り戻すことはなかった。
最終期の1993年、1994年モデルでは、FZR400RRなどと同じくピンクやパープルといった明るいカラーリングを纏うようになった。
デザインのヤマハらしく刺激的なカラーリングでも爽やかにみせるのはさすがだったが、バイクに込められた高次元な設計思想は益々伝わらなくなってしまった。
1995年を最期にFZR250Rは遂に途切れてしまうことになったが、250ccであろうとクオリティをビッグマシンのレプリカと同レベルで開発する姿勢は、ヤマハファンには何よりの信頼と安心をもたらしていたのが忘れられない。