レプリカブームは終焉したものの、やり残した進化を反映したかった!
’80年代の2ストレプリカ時代を知るファンには、’88のNSR250Rといえば史上最強の2スト市販公道マシンに位置づけられる頂点マシン。
'84年にVツインをレーシングマシンと同時開発で急速に進化させ、'86年にワークスマシンと同じレイアウトの90°Vツイン、目の字断面のアルミツインチューブのNSR250Rをリリース。
しかし僅か1年後、ホンダはPROSPECと称する点火やキャブレターに排気のRCバルブをコンピューター制御する画期的なPGMシステムを搭載、既にライバルを引き離していたリードを圧倒的な差まで広げてしまったのが名高い'88モデルだ。
その後PGMIIを搭載した'89モデル、PGMIIIの'90モデルでさらに繊細なコントロールがされ、レプリカブームも落ち着いたタイミングで最終モデルかと思わせていた。
それが'93年冬に1994年モデルとしてPGMIVを搭載、スイングアームを片支持のプロアームとしたMC28を発表、カードキーを採用するなどデジタル時代に相応しい仕様となって発売されたのだ。
乗れば瞬く間に違いがわかるこのファイナルモデルは、一番の特徴がそのエンジン特性。
PGMIVによって、2ストローク特有のスロットルがパーシャル、つまりハーフスロットルで加速も減速もしていない状態で、俗にいうハンチング、不活性爆発で不整脈のような症状を解消してしまったのだ。
まるで4ストロークのようなスムーズさで、最大のメリットはストットルを閉じた状態から開けた瞬間に鋭いレスポンスを瞬間だけみせる扱いにくさが消えている。
実は新たな出力規制で40PSまでパワーダウンしている筈だが、乗っているとむしろ前モデルよりパワフルに感じるほど。
減速比をやや大きくして加速を稼いでいるとはいえ、さらに厳しくなった騒音規制にも対応したジェントルサウンドに、まさしくキツネにつままれた感覚に陥る。
さらにプロアームとなった足回りは、後輪のグリップ感が明確で高速域での安定と旋回力はまさに市販レーサー並み。
フロントフォークも敢えて倒立を選ばず、軽量でしなやかな正立フォークのカートリッジダンパーとのセッティングも万全で、かつてないほどのコーナリング・ポテンシャルを誇っていた。
またSEモデルは乾式クラッチにサスもグレードアップ、限定のSPモデルには加えてマグネシウム合金製ホイールが奢られている。
最終章はWGP500ccマシンのレプリカを纏う!
もうレプリカブームも終わろうとしているのに、ここまでコストと4年近くもの時間をかけて開発したのは、唯々やり残した進化をNSRの締めくくりとしてキッチリ反映したかったとのこと。
そのエンジニア魂と、既に多くの量産は見込めないのを承知の上で開発を許可するホンダの姿勢にはひたすら感動を覚えた。
そしてファイナルらしく、レースシーンでファンの目に焼き付いたロスマンズカラー、レプソルカラー、そして全日本やGPでも見られたワークスマシン純正のカラーリングが'94~'95~'96モデルで展開され、別れを告げ生産終了となった。
初の2ストGPマシン、初の2スト市販スポーツを共に1983年にデビューさせ、僅か足掛け5年、実質4シーズンちょっとで革新的な進化でリーダーとなり、毎シーズン完全新設計のNewモデルを投入、それもレーシングマシンと市販車を同時に開発するというスピードは戦争状態といえる凄まじさだった。
NSRはまさに'80~'90年代の風雲児と呼ぶに相応しい存在だ。