boxer-engine_211022_main.jpg
ピックアップ

BMWボクサー最強!100年通用した地を這う強み【ボクサー神話 Vol.2】

Photos:
BMW

【 ボクサー神話 】関連記事

デビューした100年前から最強ブランド、そして’93年からまたもや最強へ

水平対向エンジンのボクサー(と呼ばれる由来はVol.1を参照)乗りにベテランが多いのは、タフで天気を問わず走りたくなる最強イメージからだが、この勢いは20年ほど前のGS系に端を発し最近の8年ほどの暴れん坊ぶりは誰もが認めるところ。
しかしボクサーは一時消滅の危機が訪れ、そこを乗り越えたエンジンという歴史が刻まれているのだ。
そもそも創成期に圧倒的な優位性を誇る最強の位置づけからスタートしてるそのルーツに触れておこう。

まず一般的にクルマメーカーとして知られているドイツのBMW。このビーとエムとダブリューの3文字は、Bayerishe Motoren Werke の頭文字からきている。
直訳するとバイエルン(英語圏ではババリア地方)にある原動機(Motoren)製造工場(Werke)。ドイツ南部の最大の州名となっているバイエルンは、州都がミュンヘン。日本風に表すとたとえば関西エンジン製造会社、のようなものだ。

クルマに詳しい方なら、このBMWの丸に十字を切ったエンブレムの青と白が彩られているのは青空と雲にプロペラのデザインだとご存じかも知れない。そう、元は航空機のエンジンメーカーだったのだ。
しかし第1次世界大戦の終結後、協定で航空機エンジンを製造できなくなったBMWは、オートバイ用エンジンの製造を開始、飛行機エンジンに多かった水平対向2気筒500ccエンジンはいくつかの車輌メーカーで採用され成功を収めた。
そこまで好評ならばとBMWはこのエンジンを搭載したオートバイの製造を決断、そしてその最初のオートバイこそが、最強まっしぐらの革新的存在だったのだ。

天才エンジニアのマックス・フリッツは、水平対向の2気筒が左右へ張り出す縦置き方向で搭載、さらに当時では考えられなかった変速機とクラッチまでをひとつの同じエンジンケースに収め、後輪はシャフト駆動としたのだ。
当時の常識では、水平対向2気筒は前後に気筒が配置される横置きに搭載、そこからベルトやチェーンで変速機に繋ぎ、さらに後輪を主にベルトで駆動するのが主流。しかし、この革新的な構成は瞬く間に頭角を現すことになる。

まず当時は頻繁だった出先でベルトやチェーンが切れて立ち往生することもなく、エンジンユニットが全長も短くコンパクトで軽量なため最速を誇ることとなった。リヤブレーキしかなかった時代に前輪ブレーキを装備していたのも、このR32と呼ばれるバイクだけ。1923年のことだった。

壊れない、速い、そしてシリンダーがクランクケースより上にない低重心なため、安定性が高く乗りやすいと圧倒的な地位を得たBMWは、さらにその優位性をアピールするためすぐレースにも出場、まだ舗装路さえ少なかった時代に安定性の高さは最大の武器で、圧勝に次ぐ圧勝を重ね1938年には世界の覇者と認識される英国のマン島TTレースにチャレンジ。最高峰クラスの500ccクラスでショルシュ・マイヤーはスーパーチャージャーを搭載したボクサーで独走、初の外国メーカー、そして初の外国人の優勝を遂げたのだった。

折りしも第二次大戦へ突入、軍用バイクとしても水平対向とシャフトドライブの組み合わせは、戦地の道なき道の踏破性で他を圧倒、戦時という状況から各国でコピーバイクが生産されたほど。何とあのハーレーダビッドソンでさえ、アメリカ陸軍向けの水平対向エンジンのコピーバイクを生産していた。

boxer-engine_211022_01

R32

エンジン専業メーカーだったBMWは、オートバイ用水平対向2気筒のM2B15を開発して他メーカーへ販売していたが、1923年にR32という独自のコンプリートバイクを開発、水平対向を縦置きでひとつのエンジンブロックに変速機までをセットで一体化、さらに耐久性で大差のつくシャフト駆動を組み合わせ、圧倒的優位性で瞬く間に世界トップの座に就いた

boxer-engine_211022_02

1920年代のミュンヘン工場

R32の量産をはじめたミュンヘン工場。シンプルでコンパクトな構造から生産性も高かった

boxer-engine_211022_03

マン島TT優勝

1940年、BMWはスーパーチャージャーを装着、最高峰の500ccクラスで初めての英国以外のメーカー、初めての英国人以外のライダーによる優勝を遂げてみせた

一時は諦めかけたボクサーだが、復活すると独自に最強域を育み続け圧倒的優位に

そして戦後、復興や好景気に伴い道路環境の向上で、最強だったボクサーはまず深くバンクすると左右に突き出たシリンダーヘッドが路面に接地するため、スポーツバイクのパフォーマンス競争から脱落、依然として長距離のタフネスぶりに量産車では初のフルカウルを装着したR100RSをフラッグシップと位置づけ、ツーリング専業メーカーとして生き残りを賭けようとしていた。

しかしホンダCB750フォアをはじめとする日本製大型バイクの台頭は、それまでのリーダーだった英国勢を廃業にまで追い込み、BMWも果たして二輪事業を続けるのかの岐路に立たされるところまで追い込まれたのだ。
すでに自動車メーカーとして確固たる地位を築いたBMWは、とはいえ創業のルーツから二輪事業は続ける決断を下し、将来へ向け可能性を切り開くスポーツバイクということで、水冷の燃料噴射で4気筒のエンジンを何と縦置きでシリンダーを真横へ寝かせ、シャフトドライブまでを一貫して設計したマックス・フリッツのフィロソフィーを受け継ぐK100シリーズをリリース、非力なOHVボクサーはファンのため併行生産は続けるものの、次年度が最終生産と予告をはじめた。
が、ファンからのオーダーは逆に増える始末、何年も前言を翻し続けたBMWはついにボクサーの再開発を決定したのだった。

1993年にデビューしたすべてを刷新したOHC空油冷ボクサーは、1,100ccで4バルブとビッグボア、低速からアグレッシブさを楽しめる想像を超えるパフォーマンスで人々を驚かせた。
ツーリングのノウハウをもっとも積んだメーカーらしく、まずはツーリングスポーツのRS、そしてツアラーのRT、さらにネイキッドのロードスターやアドベンチャーのGS系も加わるワイドなラインナップを構成、GS系から最強の評判も上々で完全復活を果たしたのだった。
その後に1,150ccへと進化を経てから、部分的な水冷化と吸排気レイアウトの変更とDOHC化で、1,200ccまでスープアップ、近年ボア径を102.5mmまで拡大した1,250ccで、のけぞるアグレッシブな加速とさらにパンチ力を増している。
ボア径が100mmを超えると、燃焼室の縁が不完全燃焼を起しやすく、この異常燃焼が損傷に直結すると、それこそ爆発的なレスポンスが得られても、大手メーカーがリスクを避け手を出さない特性でもある。
その都度スポーツ性を誰でもわかるほど、飛躍的に力強さを加えてきたエンジン開発力の凄さはまさに脱帽もの。片や排気ガス規制は益々厳しくなり、パワーダウンを余儀なくされる流れの中で、排気量が大幅にアップされたかのように感じさせ、ベテランを狂喜乱舞させているのだ。
4気筒などマルチシリンダーの高回転域へ一気にワープする狂気の加速とは異なり、スロットルを捻った直後が蹴り飛ばされたような最大加速というまさに「快感」に浸れるのだ。
どれだけ「やんちゃ」なのか、ボクサー1250が未経験で刺激を求めている方は、ぜひ一度試乗なさるのをオススメしておく。

boxer-engine_211022_04

1960年のR50(根本所有車だった)

1955年~1960年まで生産されたR50やR69は、オートバイのロールスロイスと呼ばれ、アイドリングではエンジンがかかっているのかわからないほど静粛性が高く、加速しても排気音がホロホロと囁くイメージで語られた最高級車だった

boxer-engine_211022_05

R1250RS

boxer-engine_211022_06

R1200R