ストリートからワインディングまで、250レプリカをカモれるカフェレーサーを目指す!
1987年にヤマハがリリースしたSDR……それまでヤマハのスポーツバイク系ネーミング記号になかったアルファベットの組み合わせに、従来のカテゴリーに属さない主張が込められていた。
それはレプリカ至上主義ともいえる、レーシングマシンそのままのスーパースポーツに対するアンチテーゼ。
ただSDRは「性能」に背を向けるのではなく、異なるアプローチでスポーツバイクの可能性を追求する、ある意味「過激」なチャレンジも込められていた。
エンジンはTZR125のボア×ストロークをアップ、後にDT200RやDT200WRやDT230へと進化していく2ストローク水冷単気筒の傑作エンジン。この中間排気量は適度に「パワフル」で扱いやすく、醍醐味を楽しめるカテゴリーとしてオフ系ライダーに認知度の高いカテゴリーだ。
195ccながら34PSまでチューンされ、排気ポートを可変としたYPVSや低回転域からトルキーなクランクリードバルブと、YEISという吸気チャンバーに、キャブレターは高度なフラットバルブ方式と、レスポンスの鋭さとダッシュ力で勝負する実力派の構成。
シンプルな車体との組み合わせは、105kgの車重から3.08kg/psのパワーウェイトレシオで、何とRZ250を上回るポテンシャル。
コーナリングでレーサーレプリカを追い回し、慌てさせる……そんな反骨心を込めたと開発スタッフが豪語するチャレンジ魂に満ちていた。
他にもサイドカバーに見えるアルミの構造体は、エアクリーナーを仕込んだサブフレームとを繋ぐ吸気ボックスだったり、排気系もチャンバーをエンジン下へ湾曲させて収めるショートタイプとして運動性アップを狙うなど、従来とは次元の異なる手法を採り入れた意欲作だ。
梯子状のトラスフレームは、ニッケル・スズ・コバルトの3元素を用いたメッキ手法、錆に強く光沢が鮮やかなクオリティを誇った。
しかし単なるアンチテーゼだけではなく、SDRには新しいチャレンジが詰まっていた。
何とSDRはシングルシートで、タンデムステップを装備していなかったのだ。セパレートハンドルの狭さと低さも半端なく、カフェレーサーのフォルムだが狙いは生粋のロードゴーイングレーサー。
しかもその走りは、エンジンはワイドパワーバンドで、ハンドリングも軽量ナロウな仕様でも、前輪が安定感を崩さない扱いやすさを重視、実はライダーを選ばないキャリアが浅くても醍醐味を楽しめるキャラクターにまとめられていた。
カタログに込められたレプリカブームがバイクライフを狭める傾向への警鐘!
ヤマハSDRのカタログには、原点復帰をスローガンに、性能やスペック競争に明け暮れるバイクメーカーへの反骨心?と思える言葉が並んでいた。
いつの時代にも主流がある。多くの人が憧れるコト、多くの人が欲しがるモノ、多くの人が認める常講。それが、その時代の主流になる。自分を安心させる材料になる。いいわけの理由になる。でも、できあいの基準だけを頼りにしているなんて、つまらない。流行に振りまわされず飾りに目を奪われることなく、自分らしさを貫いていくことのほうを大切にしたい。
アンディ・ウォホールのイラストをバックに、メージャーにばかり目を向ける空気を否定する文言……バイクブーム渦中の当事者からこんな言葉が発せられる、感性を大事にするヤマハらしさが潔くファンの共感を呼んでいた。
こうした気骨に頷くライダーも少なくなかったが、実際にはヒット作とならず、製造も短期間で終了することとなった。
しかしライダーのライフスタイルに寄り添ったコンセプトなど、いまも人々の記憶に残るマシンの一台であるのは間違いない。