スーパーバイク世界選手権で打倒ドゥカティの切り札!
ホンダから2000年にリリースされたVTR1000SP-1もしくはRC51(アメリカでの呼称)は、市販車で闘うスーパーバイク世界選手権の排気量上限が、4気筒は750ccまでなのに対し2気筒が1,000ccで、当初はV型4気筒のVFR750R(RC30)~RVF750(RC45)で圧倒的な強みを発揮していたものの、1,000ccのドゥカティがポテンシャルを高めてきたのに対抗するため開発したいわばレース戦略マシンだ。
ただホンダには1997年にリリースした初の1,000ccVツイン、VTR1000Fがあったが、この機種はレースのベースモデルを前提にはしていないため、ドゥカティ勢に対抗するためには、ほぼ全面的に開発をやり直す必要があった。
エンジンはVTR1000Fがボア98mm×ストローク66mmだったのに対し、SP-1(RC51)はボア100mm×ストローク63.6mmと全くの別モノ。
まずはワークスマシン、VTR1000SPWを開発、完成してからスーパーバイク出場に必要な市販車としてのホモロゲーション・バイクを生産するという経緯を経ている。
とくにフレーム関係では、VTR1000Fがいわゆるピボット・レスだったのに対し、SP-1(RC51)は通常のピボットがメインフレームと一体構成と大きく違う。
VTR1000Fのピボット・レス構成は、スイングアームがエンジン後部でマウントされ、メインフレームと直結していない構成。ピボット部分の剛性をやや落として僅かだが生じる撓みを、ライダーがグリップ感など路面の情報を得やすくするスポーツ・ツーリングとしてのチャレンジがされていた。
デビューから連戦連勝、圧倒的な強みを発揮!
VTR1000Fから3年後、VTR1000SPWをベースとしたVTR1000SP-1(RC51)がリリースされ、レースにも投入された。
開発に1年多くかけただけあって、世界のレースを破竹の勢いで制する独壇場となった。
アメリカのAMAデイトナからヨーロッパではスーパーバイク世界選手権、さらにマン島T.T.でも圧勝、鈴鹿8時間耐久をはじめ耐久選手権でも無敵を誇ったのだ。
そしてこのマシン、輸出専用で日本国内では市販されなかったが、ホモロゲーション・バイクといえどRC30のような限定生産の高いプライスとはならず、ヨーロッパでもアメリカでも垂涎のマシンとして注目を浴びていた。
しかし、これほどレースで勝つことを目標に開発されたマシンは、プロライダー並みのスゴ腕でないと乗りこなせないと思わせる面も多く、そのスパルタンさに大人気なマシンとまではいかなかった。
次いで2002年には硬いサスなど一般公道向きに改良版としたSP-2を投入、カラーバリエーションも増え日本でえも逆輸入車を見かけるようになっていった。
価格もSP-1が9,999USドル、SP-2も12,000ドルを下回るバーゲンプライスだったこともファンを驚かせていた。
レースベース車は国内でも10台が販売された……
2002年にはVTR1000SP-2のオーストラリア仕様をベースに、国内ロードレースでスタートしたJSB1000クラスへの参戦を目的としたレースベース車が849,000円と破格値で販売された。
ただレギュレーション上、VTR1000SP-2はレース出場ができなくなるという短命に終わり、スーパーバイクは直4のCBR系が担うこととなって現在に至っている。
しかし純粋にレーシングマシンのために開発されたプロトタイプを、市販車として手に入れられる、そんな孤高のマシンだったのだ。
レプリカ時代の後に、そんな夢のような時代が訪れるとは誰も想像できなかったに違いない。