1982年5月、ホンダはバイク界を震撼させる凄まじいマシンをリリースした。
250ccといえば1980年にヤマハがRZ250をデビューさせ、水冷2ストエンジンの大型バイクを追いかけ回すパフォーマンスでライダーたちを熱くしたが、他の4ストエンジンは単気筒にしても2気筒にしても、車検などコストもかからないこのクラスをジェントルに乗るイメージのバイクばかり。
そこにDOHCの気筒あたり4バルブの超高回転エンジン、しかも90°V型で何と水冷という、GPマシンでなければあり得ない高度なメカニズムの塊り……。
やっぱりホンダは独り抜きん出たメーカー、他が真似しようにもそこまでテクノロジーの基盤がないのでムリ、そんなすべてを凌駕する圧倒的存在のVT250Fだった。
当時ホンダは世界GP復帰で、2ストGPマシンに4ストV4でチャレンジしていたこともあって、排気量が小さくなるほど2ストが優位といわれた常識を覆す意欲に溢れていたのだ。
気筒あたり4バルブの精緻なメカニズムを水冷DOHCで構成、まさかの35PS/11,000rpmと2ストに拮抗するスペック表示で、ピーク域がレーシングエンジン並みの1万回転を越えるパフォーマンスに、人々は目を見張った。
ボア60.0mmでストロークが44.0mmの超ショートストロークの248cc。その超高回転域を常用できるハイメカ・エンジンは、何と分解するとレーシングエンジンでしか見られない、バルブの傘のカタチにピストンヘッドに軽く当った痕がつく……などという伝説めいたストーリーが巷を駆け巡っていた。
またVバンク間に収まるふたつのスラントしたキャブレターは、始動時にスターターバルブから燃料が噴出して、冷寒時だけでなく高温時などかかりにくい状況でも呆気なく始動できるメカニズムや、6速のミッションを変速するシフターを遊星歯車のラチェット機能と超コンパクトな仕組みとするなど、チャレンジング且つ実用性の高い優れた面が光っていた。
クラッチがワイヤー作動ではなく油圧式と、大型バイク並みのすべてに奢った仕様に唯々呆気にとられるばかりだった。
チャレンジと合理性の高さに圧倒される斬新テクノロジー!
フレームも大型バイク並みの完全なダブルクレードル型。そのダウンチューブ左側で、水冷の冷却水通路として利用したり、リヤサスはリンク式で2次曲線的なアグレッシブ・レートで剛柔をこなす仕様なのと。ショックユニット上部にエアチャンバーがあり車高や初期作動の調整が可能と、レーシングマシン顔負けのハイメカも搭載。
ブレーキもインボードディスクという、当時は真綿感覚と言われた鋳鉄製ローター(ディスク)が、露出していると濡れるとつく錆が見えてネガティブということもあり、日本車は錆びにくいステンレス素材を使い効きを犠牲にしていたが、それを払拭するホンダ独自のカバーされた構造のシステムとして開発されたオリジナルのブレーキを採用していた。
さらに前輪16インチなど、当時のGPマシンに投入されていた技術の数々が反映されており、乾燥で149kgの車重と相俟ってまさに攻めまくるマシンのハンドリングだった。
メーターバイザーを兼ねたビキニカウルにウインカーをビルトインしたり、ロングタンクからサイドカバーを独立せず連続した面で構成、シートからシートカウルへと跳ね上げるフォルムや、シート面を赤くするなど斬新で熟成されたデザインも好感度で人気に拍車をかけていた。
大ヒットしたVT250Fは、その後バリエーションとしてイヤーモデルが続出、ビキニカウルはボディマウントのハーフカウルや、ネイキッドのVT250Zが登場した後にアルミ一体成形のフレームを持つSPADA(スパーダ)という派生モデルを生んだ。
1991年にトラディショナルなXELVISに変身を遂げたが、そのVT250のVツインもいつの間にか20年を越え、あらためてトレリスフレームにマウントしたベーシックスポーツとして、シンプルなルックスのVTRとしてリファイン、2017年に生産中止されるまで実に35年間ものロングランを記録したのだ。