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このバイクに注目
SUZUKI
T20
1965model

スズキの初代250ccスーパースポーツが世界へ勝負に出た唯一の6速と強制潤滑に美しさ!【このバイクに注目】

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スズキ

先陣ホンダヤマハを越える性能とデザインのオリジナリティが至上命令!

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日本製スーパースポーツが世界進出をスタートしたのは1960年代前半、世界GPへ挑戦し小排気量マシンから世界制覇を遂げて高性能ぶりをアピール、その勢いでアメリカからヨーロッパと先進国への輸出がスタートしたのだ。
ホンダは'60年代に入るとマン島T.T.レースへの挑戦から、世界戦略として250ccのスズキもホンダとヤマハに続き、世界GPの50~125ccでタイトル獲得と猛追、価格と利益幅が大きな250ccスーパースポーツに3番手として殴り込みをかけた。
その急先鋒となったのがT20。輸出名を当初X6ハスラーと呼ばれた、先行ホンダとヤマハを逆にリードするハイメカが開発の命題だった。
例えばX6という車名は、X(エックス=謎の)6速ミッションを表していた。
当時スポーツバイクといえば、スタンダードな4速にスポーティなクロスレシオ・ミッション、つまりコーナーで通過速度に優位なエンジン回転域となるよう、トップギヤと3速の間にギヤ比の近い4速を加えた多段化が高性能マシンの象徴だった。
そのスポーツバイクが5速で横並びとなっていたトコロへ、スズキはGPマシン並みの唯一6速を備えたマシンを1965年に投入したのだ。

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さらにシリンダーは熱伝導が高く冷却に優れるアルミ鋳鉄シリンダーを採用、6ポートの採用で25ps/8,000rpmと2.42kgm/7,000rpmで車重145kgを、ゼロヨン(0~400mの加速)13.5秒と最高速160km/hと最速を誇った。
さらにガソリンにオイルを混合しなければならなかった2ストロークエンジンで、オイルをポンプで給油する分離給油のメカニズムをヤマハが吸気ポート部分に供給する仕組みを導入した直後だったが、スズキはそれをクランクシャフトへ強制圧送するGPマシン直伝のハイメカ搭載、並列2気筒間のセンタークランクベアリングにはミッションオイルで循環するというモノ。
フレームも初のパイプフレームを本格的なダブルクレードル構成を奢る設計だ。
加えて燃料タンクからサイドカバーにエンジンのクランクケースカバーまで、前後にロングなスタイリッシュに見せるデザインをアピールしてみせた。

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これらが功を奏してT20は先行2メーカーを猛追するシェアを最初から獲得、英国車で流行ったセンターアップマフラーのストリートスクランブラーも意欲的に投入、オリジナリティを高めるため塗装のグラフィックもイヤーモデルで多彩な展開を繰り広げたのだ。

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そんな海外での展開に対し、国内向けではベーシックなブラックとシルバーにメッキの定番カラーリング。
高性能ぶりをアピールしてはいたものの、独自のオリジナリティなど伝えるまでもなく、海外とは全く別次元のイメージでしかなかった。

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このT20も1966にT21で30.5ps/8,000rpmへパワーアップ、1967年には車名もわかりやすくT250となり、1970年まで燃料タンクのニーグリップラバーを廃したり、フロントフォークをインナースプリング化するなどの変更をうけながら進化していった。

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それが1971年にGT250という新シリーズ化され、高性能を象徴するようにシリンダーヘッドの冷却フィン面積を増やしつつ走行風が点火プラグへと導入されやすい形状とするなどあり、1973年にはシリンダーヘッド全体をラム圧で冷却風を加速させるラムエアダクトを被せた形状へと進化した。
これがご存じ3気筒のGT380、GTサンパチへの流れとなったのだ。
こうして常にスズキにしかないメカニズムを投入する、オリジナリティを重視する姿勢が定着していったのだ。