RZ250を上回る新テクノロジー満載!

1979年にホンダがリリースした、まさかの2ストローク50ccスポーツのMB50(広告なでの名称はMB-5)。
250ccやビッグバイクのスケールダウン・デザインが定番だった50スポーツに、概念を打ち破る斬新フォルムと、ホンダでも2スト・スポーツに着手した予告めいた存在に既存の2ストメーカーは色めき立った。
対抗手段として、ヤマハは1980年に衝撃のデビューを果たしたRZ250の圧倒する2ストテクノロジーをアピールするその名も「RZ50」を1981年に発表。



エンジンは国産50cc市販車としては初の水冷!レーシングマシンでしか採用されないハイチューン・エンジン仕様で完全に圧倒した。
しかもピストンリードバルブの閉じている間はチャンバーに吸気を溜め込み、リードバルブが開くタイミングに吸い込ませるY.E.I.S.を搭載、ハーフスロットル時のハンチング減少に中速域のトルク増大と2ストで先んじている証しとしたり、リヤサスはRZ250と同じモノクロス方式に本格的なダブルクレードルを採用、さらにエンジンのマウントを振動解析でフレームへのストレスを削減する設計から、多くの装備があるにもかかわらず75kgに抑えるなど最新テクノロジーを満載していた。


40mm×39.7mmの49ccは、7.2PS/9,000rpmと最大トルク0.62kgm/8,000rpmで文句無くクラストップのパフォーマンス。
前後18インチのホイールサイズは250cc並みの装備で、6速ミッションとすべてに50ccであるのを忘れさせるスペックが並んでいた。
カラーリングも当時ヤマハで人気だったフランス・ヤマハの世界GPチームのブルーと白のツートンから、RZ250で展開された赤のグラフィックに黒人気の高まりにも当初から対応した手際の良さ。


しかしこの"オーバークオリティ"は、負けじとホンダが翌年に投入したMBX50やスズキのRG50Γとのガチンコ勝負を激化させ、50cc原付が60km/hを上限速度とする自主規制を余儀なくされ、50レプリカの熱量に水を差すきっかけにもなってしまった。
そんな気運にヤマハは1985年にカウルを装着した上級仕様を設定したが、その勢いは既に下降気味でヤマハはそこからの深追いをせず、1990年の本格ピュアレプリカ時代の到来に開発したTZR50まで、いったんは静観をしていた。

しかし1997年にTZR50がブームの終焉を迎えた後、1998年にTZR50をベースにしたネイキッドのRZ50が登場、懐かしい車名が復活したがもちろん初代とは全くの繋がりのない新規種だった。