250A1、350A7に続く最速チャレンジャー真打ち登場!!
1966年に250ccA1サムライで、先行していたホンダCB72、ヤマハYDS3、スズキT20の性能を上回り、次いでボアアップした338ccA7 アベンジャーがさらにハイパフォーマンスなイメージを振りかざすなか、カワサキはとてつもないレベルの最速マシンのリリースを企んでいた。
それはトップスピード200km/h、0-400mを12秒で駆け抜ける、レーシングマシン並みの超速モンスターマシン。
338ccのA7の気筒をもうひとつ加えた3気筒の500cc、これなら目標の200km/h達成が可能と睨んだのだ。
しかし実際に手がけてみると、そこには立ちはだかる壁だらけ。
A7のエンジン左側へもうひとつ気筒を加えたものの、はじめての120°クランクシャフトの3気筒は、振動もない理想のレイアウトながら急激なハイパー加速などを繰り返すと、各気筒のクランクの嵌め込角度を位置決めしているピンが切れて回ってしまったり、高回転域では2次振動に悩まされハンドルのグリップラバーに長めのフィンを加え手の平の負担を軽減したり……。
それでも200km/h達成のため、可能な限りのハイチューンを施し、何とか目標のトップスピードに届いたものの、前輪荷重の少ないデザインもあって直進が安定せず、テストライダーはダウンフォースを稼ごうとフロントフォークのボトムケースへアルミの帯板を嵌めて走行していたほど。
勢いよく発進すれば、いとも簡単にウイリーするし、経験のない高速域のコーナーではグラグラとウォブル現象を生じる、腕に覚えのあるライダーでなければ扱えない強烈なキャラクターだった。
しかも問題だったのは点火プラグのかぶり。そもそもハイチューンで低回転が続くと点火プラグは失火しやすかったが、万一の焼き付きを防ぐため2ストロークオイルを大量に送り込むこともあり、点火プラグにオイルが浸り着火できなくなるケースが多発した。
この解決に初のトランジスターCDI点火で高圧放電できる仕組み(サイドカバーに誇らしげな高電圧マーク!)を開発、当時は無接点とはいかずCDIなのに接点のあるディストリビューターで120°間隔に振り分ける構成。
さらには点火プラグも、沿面プラグという一般的な電極が上下で火花を飛ばす構造ではなく、中央の芯から周囲の囲んだ面とで、どこかでかぶった場合も火花が他の位置で飛ぶよう工夫された特殊なプラグを装着して解決していた。
狂気のマッハIIIも調教され、250・350・400・750もラインナップされる
そんな苦労の末にリリースされた500SSマッハIIIは、走り屋ライダーたちを中心に話題騒然のバイク。
498ccで60PS/7,500rpm、5.8kgm/7,000rpmは、どこでもウイリーするのと猛烈な白煙に包まれることから、気合いの入ったライダーにしか操れないというイメージが先行、そうなるとチャレンジャーが殺到してカワサキの狙いは的中した。
ただこれは海外でのことで、街中から速度の低い国内ではCDI点火でもプラグがかぶるなど、走らせるのが難しいバイクという評価が先行していた。
とはいえ、その後に点火装置やエンジン側も改良が進み、フツーに乗れるバイクへと進化しながら憧れていたユーザーを獲得していった。
そしてこの2ストローク3気筒は、250cc、350→400cc、さらには750ccと排気量のラインナップも増え、世界中に多くの3気筒ファンを生んでいくことになった。
ただ900ccの4ストロークDOHC4気筒、Z1がリリースされると、ハイパフォーマンスとフラッグシップとしての位置づけもあって、2スト3気筒の人気も一段落してミドルクラスのジャジャ馬バイクというカテゴリーへ収まるようになる。
2スト3気筒の120°間隔で爆発する、高周波と低周波が混ざった独得のサウンドと、機械的な角のない柔らかい振動が織り成す他にはない感性に、いまもハマるライダーは少なくない。
無茶を承知で開発してしまい、何とかモノにするカワサキの個性を含め、ここまで濃い趣味性のバイクは滅多にないだろう。