いつかはやってくる時だった。そして2021年、その時を迎える。9度の世界チャンピオンに輝いた、現役にしてレジェンドと呼ばれるバレンティーノ・ロッシ(ペトロナス・ヤマハSRT)が、MotoGPのレースから去る時が。
サーキットが、街が、黄色に染まる
そこは黄色一色に染まっていた。2019年、サンマリノGPの取材のために初めて訪れたイタリアのミサノ・ワールド・サーキット・マルコ・シモンチェリ。取材の合間を縫ってサーキットを歩き回れば、バレンティーノ・ロッシのTシャツやグッズを身につけている人のなんと多いことだろう。コースを見下ろすことができる丘の上に立つ。見渡す限り、イエローで埋め尽くされていた。
ロッシは母国イタリアにおける英雄で、その人気はとてつもない。知識と情報をすり合わせても、なお、その光景は脳裏を打った。この目で見たサーキットを埋め尽くすイエローと、46のフラッグの数々は忘れられない。
ロッシの存在の大きさをさらに色濃く感じたのは、イタリアのタヴッリアだった。ご存知のとおり、ロッシが育った町だ。ファンクラブの拠点や、ロッシが所有するダートトラックコース、VR46モーター・ランチがある。
ファンクラブ本部の建物がある一角にはオフィシャルショップやピッツェリアがあり、平日の昼間だというのにピザとビールを楽しむ人であふれている。町を訪れた人に話を聞くと、はるばるフランスからやってきたファンもいた。住人であろう子供たちは、当たり前のように46のTシャツを身につけて道を小走りに駆けていく。
もしもロッシがいなかったら、町はなだらかな丘に囲まれた、小さな田舎町に過ぎなかったに違いない。ロッシがこの町にもたらしてきた経済効果はどのくらいなのだろう、とも考えた。そして、ここまで一つの町に影響を与えることができる一人のアスリートが、世界にどのくらいいるのだろうか、とも。
ロッシを追いかけているとレースがどんどん好きになる−−−
「どういうわけか、僕はたくさんの人たちをモーターサイクルレースに近づけることができた。僕がいなければ、特に、イタリアではMotoGPや125cc、250ccのレースについて知らない人が多かっただろう。だから、僕はキャリアの最初の頃に、人々の感情にスイッチを入れるようなことをしたんだ。とても誇りに思っているよ。本当に特別なことだから。でも一方で、普通の生活を送ることは難しい。常にプレッシャーにさらされるからね。生活を変更しないといけない。でも僕は、できるだけ変わらないよう、普通であろうとしていた」
「イタリアでは、たくさんの人たちがバイクレースを、僕を追いかけるようになった。これは、僕のキャリアの中で、結果とともにもっとも重要なことだと思う。どうしてかはほんとにわからないんだ(笑)。でも、日曜日の午後、僕はたくさんの人たちを楽しませてきたと思う。日曜の1、2時間、彼らは何も考えないで、ただ僕のレースを追いかける。こういうわけで、僕は“レジェンド”なんだと思うよ。いまは、結果があまりよくないけどね。多くの人が僕のところにやってきて、僕を見ると興奮して泣く人もいる。僕はびっくりして『泣かないで、なんで泣くの?』と言うんだ。でもそれって、すごく大きな感動だよね」
ロッシは自身の影響力について、引退表明の会見でそう述べていた。
2019年サンマリノGP。イエロー一色の様子は予想をはるかに上回る印象深いものだった
タヴッリアの町。ロッシの存在と影響力の大きさを考えさせられた場所だ
サーキット中を、象徴とするカラーであるイエローで染めてしまうほど、熱烈に愛されてきたロッシ。8月5日、ロッシはMotoGP第10戦スティリアGPの開催地であるレッドブルリンクで、2021年限りでの引退を発表した。壇上の椅子にただ一人座り、ジャーナリストからの質問にひとつひとつ答える。その表情は穏やかに見えた。
引退会見では500ccクラス最後のチャンピオンとなった2001年、ヤマハに移籍して1年目でタイトルを獲得した2004年、王者に返り咲いた2008年を忘れられないシーズンに挙げた
シーズン当初は現役を続けるつもりだったけど……
ロッシは1996年、ロードレース世界選手権125ccクラスでデビューして以来、2021年までに通算9度のチャンピオンを獲得してきた。これまでに歴代2位の優勝数である通算115勝を挙げ、通算235回、最高峰クラスでは199回の表彰台を獲得している。
ここ数年は厳しい状況が続き、2020年シーズンは3位表彰台を一度獲得したのみにとどまっていた。そして今季、ヤマハのファクトリーチームから、サテライトチームに移籍。ロッシの去就、引退の可能性について、注目が集まっていった。
「シーズン序盤、僕はサマーブレイク中に(来季の去就について)決めようと思っていた。シーズンが始まった当初は、現役を続けたかったからだ。ただ、自分に速さがあるのかを見る必要があった。残念ながら、今季の結果は期待以下だった。そしてレースを重ねるうちに、(引退を)考えるようになっていったんだ」
ロッシの引退は、ロッシが自分自身を見つめて、自らが下したものだった。VR46アカデミーのライダーたち、フランセスコ・バニャイアやアンドレア・ミーニョ、義弟のルカ・マリーニはロッシの現役続行を強く勧めたという。けれどロッシは、最後には決断を下した。2021年の最後のレースで、彼は自身の手で幕を引く。
199回目の表彰台となった2020年第3戦アンダルシアGP
ロッシは会見で、2022年以降はカーレースに参戦したい、と言った。彼のレースへの情熱はとどまるところを知らない。だからこそ26年もの間、世界選手権で戦い続けることができたのだろう。MotoGPライダーとしてのロッシは今季限りで姿を消してしまう。けれど、今後もロッシはレースを愛し、その魅力を彼自身の存在によって広めていくに違いない。これまでのように。
8月18日、ロッシはパートナーのフランチェスカ・ソフィア・ノヴェロが妊娠していることをSNSで発表した!写真に写るのは、お腹が大きくなったパートナーとドクターの姿。赤ちゃんは女の子だという。美男美女のもとに生まれる赤ちゃんはさぞかし可愛いのだろう、そして多くのファンが親戚に赤ちゃんができたときのような祝福のコメントを送っているのが印象的だ