世界GP制覇の500cc2st.ロータリーバルブ4気筒は、上から見ると四角に並ぶためスクエア4と呼ばれた少数精鋭のスズキだからできたリアルな同じ構成!

スズキのΓ(ガンマ)といえば1983年に初のアルミフレームやセパレートハンドルにカウル装着と、レーシングマシンそのままの衝撃的な250市販車のほうを思い浮かべる人が多い。
しかし車名に与えられたΓ(ガンマ)の称号は、世界GPの頂点だった500ccクラスを制覇したレーシングマシン、RGΓから由来したネーミング。
それはスクエア4(フォー)のロータリーバルブ吸気とメカニズムも複雑高度で、当時のレプリカ流行りの時代でも、さすがにこのハイエンドマシンのレプリカを市販化するのは考えられなかった。
1年前のヤマハRZV500Rは、YZR500のレプリカ化にチャレンジしたものの市販車に必然のエアクリーナーなどに阻まれ止むを得ず異なる吸気の2気筒をギヤ連結、複雑かつ大型化が避けられずナナハンを上回るボリュームのフラッグシップ的な存在にしかできなかった。
ところがスズキはGPマシンそのままをやってのけたのだ。

スズキは1960年代に世界GP挑戦を始めてすぐ、東ドイツのメーカーMZでライダー兼エンジニアでもあったデグナーの亡命を受け容れ、強みだったロータリーディスクバルブ吸気を50ccから250ccまでのGPマシンに採り入れた。
構造上、クランクケース側面に切り欠きの入ったディスク(円盤)を回転させるので、キャブレターが横を向くレイアウト。
125cc以上の4気筒では並列2気筒をギヤ連結、当時からこの構成をスクエア4と呼び、ライバルのヤマハもこのスクエア4で闘っていた。
その後スズキは1974年から最高峰500ccクラスへの挑戦を開始、このスクエア4エンジン型式で1976年に世界タイトルを獲得、しかも市販レーサーをデリバリーしてレースを盛り上げる戦術も展開していた。
タイトル争いで何度か世界制覇を遂げたスズキは。1982年のRGΓと呼ばれたワークスマシンでチャンピオンとなったタイミングで、その後をサテライト・チームへマシンを貸与して活動を繋ぐことになった。
そしてこのタイミングで、最後の2ストスクエア4気筒マシンの一般公道用レプリカを開発するという決断がされたのだ。


市販用のRG400/500Γも、500ccワークスマシンと同じくロータリーバルブの2気筒を前後でギヤ連結。
左右に2つずつ合計4つのキャブレターをマウント、スクエア(四角い)フォーのエンジン・レイアウトもそのまま踏襲。
ロータリーディスクバルブ吸気は、クランクケース横に開いた吸気口で切り欠きを入れた円盤が回転して、吸気タイミングを任意に設定できるため、2ストの弱点でもある中速域で強いトルクが得られる大きなメリットが活かされた。
さらに排気ポート出口に中速域でトルクを強める、RGΓ後期で採用していた可変デバイスも搭載するまさに最新レプリカ仕様だ。

車体のほうもワークスマシンRGΓで採用したオールアルミ。
中空の四角い断面で四隅にリブのある専用資材で、ステアリングヘッドは剛性と軽量化の両立で鋳造パーツと溶接する手間のかかった製法で、その重量わずか9kgと圧倒的な軽さを誇った。
リヤサスはフルフロータというショックユニットを両側からプッシュする、スムーズ且つレートがプログレッシブに変化する路面追従に優れた高度な仕様。
テールから見ると上2本、下に2本のサイレンサーがスクエア4である証しとばかり誇らしげにアピールをしていた。

スペックはボア×ストロークが56.0mm×50.6mmの498ccから、95ps/9,500rpmと7.3kgm/8,000rpm(国内仕様は64ps/8,500rpmと5.8kgm/7,500rpm)で、車重が乾燥とはいえ156kgと途方もない軽さ。
その小径16インチの前輪がワイドなロープロファイルと安定性重視もあって、リーンの軽快さと旋回のしやすさで腕に覚えのあるライダーから絶賛された。
国内向けRG400Γは、50.0mm×50.6mmの397ccから59ps/9,000rpmと4.9kgm/8,500rpmの規制値上限で、それでも153kgしかない車重の乗りやすさと、高回転域まで回したときの2ストロークならではの2次元に上昇するピーキーさに痺れるライダー続出で、一躍話題のマシンとなった。
RG250Γでも物議を醸した3,000rpm以下を表示しないタコメーターもスズキならではのマイノリティ感を漂わせる演出効果もあって、RG400/500Γに乗るライダーは憧れの的だった。




またそのマイノリティを前提にするスズキらしく、RG400/500Γにはメーカー色のブルー系ツートンに加え、赤系やレースでスポンサーカラーを纏ったワークスマシンと同じく、ウォルターウルフ専用グラフィックやファンの多いヨシムラ色もラインナップされるなど、バリエーションが数多く存在していた。
それもこれも、開発スタッフの人数も少なく、レーシングマシンに関わるメンバーも兼ねているなど、日本のメーカーにあっていかにも職人的な意気込みが発揮できる環境が功を奏していたのは明らか。
このようにスズキは難易度の高いプロジェクトでも、培われたテクノロジーによって集中して開発するスタイルを貫くため、気鋭のマシンが多い。
RG400/500Γは、まさにこうした姿勢を象徴するプロジェクトだった。



