垂涎の限定マシンRC30と同レベルの量産400バージョン!
1982年に400ccクラスへ何とV4エンジンを投入して世界を驚かせたホンダ。
部品点数の多さとレース専用でしか考えられなかった構成は、デビュー当時のスーパースポーツのフォルムからレース参戦でマシン開発を加速、1986年にはカムギヤトレーン搭載のレプリカ仕様で初代VFR400Rをリリース、レースで圧勝してみせた。
その勢いを緩めず不動のモノとしたのが1988年に登場した形式名NC30で呼ぶ人の多い次世代のVFR400R。
’80年代は世界GPと共に市販車をベースにハイチューンのワークスマシンが群雄割拠するフォーミュラ750のレースが世界中で繰り広げられた。
その中で2気筒並みにスリムでハイパー且つ駆動トルクも広範囲で強大なV4が、圧倒的なチカラを見せつけはじめ、ホンダは1987年に市販車のホモロゲーションを得るためレーシングマシンへ灯火類を装着した実質的に市販レーサーといえるVFR750Rを限定生産、型式名のRC30で呼ばれるマニア垂涎のマシンをリリース。
このRC30をそのままスケールダウンして1988年に投入されたのがこのVFR400R。形式名もRC30に因んで排気量を区別するNを冠したNC30と名付けた。
ただRC30がほぼハンドメイドで組まれる少数生産の限定モデルだったのに対し、NC30は400ccクラスのニーズを前提にした量産モデル。
各部がさすがにハンドメイドのクオリティではなかったが、構成要素はそのままの、いばわRC30レプリカに徹していた。
V4エンジンはカセットホルダーに組み込んだカムギヤトレーンの従来型をベースとしてはいたが、決定的に違うのがクランク位相を180°から360°としたこと。
これは爆発間隔がご覧のように2気筒並みに2回が接近する間隔を空けた爆発となり、この脈動が後輪の路面を蹴るチカラを強めるのをレースで立証、V4は排気音が低周波になることからインライン4気筒好きには人気がなかったが、とにかく圧勝の連続をRC30同様に勝ち誇った要因のひとつ。
因みに55mm×42mmの399ccから、自主規制値上限の59PS/12,500rpmと4kgm/10,000rpmのスペック表示だが、600cc並みと思わせるクラス最強の中速トルクが、乾燥重量164kgも手伝ってコーナー脱出でいち早く差をつける実力差は歴然としていた。
ツインチューブのフレームも、RC30と同じくメインチューブを断面にふたつのリブが入る「目の字」断面とした超高剛性仕様。片支持スイングアームのプロアームもピボット部分が箱断面になったこれも強度充分の構成で、乗ればすぐわかるシャシーの余裕ある安定感から、かなりラフなライディングを許容する余力たっぷりのポテンシャルだった。
圧倒的な強さが趣味性を感じにくくしていた……
そんな他を圧倒する独り舞台に、400ccクラスのレプリカ競争はユーザーの判官贔屓ともいえそうなV4に靡かない空気が漂いはじめた。
強過ぎる存在だと、趣味要素の強いモーターサイクルでは、どこか親しみを感じにくい感情が支配する……RC30の400cc版も、ニーズの独り占めには届かない状態へと陥っていた。
車体のカラーリングも、ホンダのレース定番であるトリコロールカラーに加え、ブラックや鮮やかなレッドもラインナップされ、他にないアピアランスをアピールするチャレンジもあり、ひと目でイヤーモデルがわかるのと、レーシングマシンのグラフィックをそのままといういかにもレプリカな展開も繰り返されていた。
ハンドリングも精緻な車体構成から正確無比なポテンシャルで、これがキャリアの浅いユーザーには乗りやすさとして伝わりにくい面もあったが、乗りこなせるライダーにはまたとない醍醐味を味わえる秀逸マシンであったのは間違いない。
そして1994年、RC30が進化したRC45ヘ世代交替を果たしたのを機に、400cc版も「RVF」と究極の車名をつけた次世代となった。
ただレプリカブームも終焉となり、独自のV4ノウハウが詰まったファイナルレプリカも、多くの注目を集める吸引力を失っていたのは時の流れというほかない。