近年、MVアグスタが装着を拡大している新クラッチシステムが「SCS」だ。そこにあるのは疲労を大幅に軽減し、エンストの緊張感からも解放してくれる画期的な機構だった。
MVアグスタが、2019年モデルから採用し始めた新しいクラッチが「スマートクラッチシステム(SCS)」だ。スポーツツアラー「ツーリズモベローチェ800」に初めて搭載して、高い評価を獲得。2021年モデルでは、全3機種5グレードにまで拡大している。
搭載と非搭載の見分け方は簡単だ。車名の末尾に「SCS」と表示されているかどうかで、逆に言えば外観上の差はほとんどない。クラッチカバー上部にSCSのロゴが貼付されていることと、リヤブレーキペダルの前方にパーキング用のブレーキレバーが追加されている程度の違いだ。
では、このSCSが一体なんなのか? ごく簡単に説明すると自動遠心クラッチの一種である。それでピンとこなければ、スーパーカブのクラッチが最も近い。手でレバー操作をすることなく、フットペダルだけでギヤを上げ下げできる、あの機構だ。オートマチックほど退屈ではなく、マニュアルより気負わず乗れる新世代のクラッチと表現して差し支えない。
エンジンを始動してからの手順は至って簡単だ。
Step.1 ギヤを1速に入れる
Step.2 スロットルを開ける
と、ただこれだけ。クラッチレバーはごく一般的な位置、つまりハンドル左側に備わっているものの、Step.1の時でさえ、握る必要がない。まさにスーパーカブと同様、ニュートラル位置からガチャンとペダルを踏み込むだけで、1速にスタンバイされる。
そうやって車体がスルスルと動き始めたなら、ほどよいタイミングで2速、3速……とギヤをアップしていけばいい。ダウンも同じだ。朝、家を出発して、夜帰宅するまで一度もクラッチレバーを触ることなく過ごすことができる。クイックシフターの精度がいくら高くとも、発進と停止時はレバー操作が必須で、渋滞路のストップ&ゴーも然り。SCSには、そのわずらわしさがまったくないところが最大のメリットだ。
だったらレバーも無くていいのでは? そう考える人もいるだろうが、これがあることで通常の操作も可能になる他、微妙な半クラッチ状態をSCSに任せず、自分で制御することもできる。操作の幅が広がるという意味で、これは賢明な判断だ。例えば、タイトな場所でUターンする時などは、たとえ大丈夫だと分かっていても心理的にクラッチレバーを握りたくなるものだ。そんな時は遠慮なく使えばよく、臨機応変な操作に応えてくれるところに、実走テストの積み重ねが感じられる。
ベースになっているアイデアと技術は、リクルス社(アメリカ)のものだ。もともとはエンデューロやモトクロス競技のための機構で、ガレ場やぬかるみなど延々と半クラッチを多用するような場面での操作の簡略化と疲労軽減の効果を狙って開発。それがやがて、ハーレーダビッドソンを筆頭とするツアラーのオーナーに広まり、かなりのシェアを獲得している。
SCS装着車と非装着車は、いずれも同一意匠のクラッチカバーが採用され、外観上の変化はほぼない。上部に貼られた「SCS Smart Clutch System」のステッカーでそれと分かる程度だ
エンスト知らず、半クラッチの煩わしさもない。ただし、初心者用というわけでなく、ベテランにも恩恵あり!
機構は極めてシンプルだ。MVアグスタの場合、非装着車に対する重量増は、たった36グラムしかない。一般的なクラッチ車と同様にフリクションプレートとスチールプレート、プレッシャープレートがハウジングに収まっているわけだが、大きく異なるなるのがそこにEXPディスクが挿入されている点だ。
EXPとは「EXPANSION(エキスパンション)」の略称で、「拡大」や「伸張」を意味する。ちょっと分厚めのディスクの内部にオモリが仕込まれ、遠心力によってディスクの厚みが変化。それによってクラッチがつながったり、切れたりするのだ。
その瞬間は、スロットルをジワッと開けていけばよく分かる。スロットル開度数%程度ではエンジン回転が少し上昇するだけで車体は動かない。そこから少し開け足すと半クラッチ操作を手動でしている時と同じように微妙に回転が上下動し、それに合わせて車体が少し前進。タイヤが半回転するかしないかの内にはフリクションプレートが押さえられ、力強く加速していく。この一連の流れを完全にコントロール下に置きたい場合は、既述の通り、クラッチレバーを自分で操作して構わない。よりダイレクトなレスポンスが得られるはずだ。
では逆に、スロットルを急開するとどうなるのか? いきなり全開にする勇気はなかったものの、半クラッチ状態が長く維持され、過大なトルクを逃がしながら徐々に加速。ビギナーの手動操作よりは遥かに効率よく、しかもスムーズに発進することができた。簡易的なローンチコントロールに近い。
クラッチに過度な負担が掛からないようにセーフティ機能も働き、3速以上のギヤでは発進できないようになっている。なぜなら、高いギヤでは必然的に半クラッチ状態が長くなり、それが繰り返されるとプレートが摩耗。トラブルを誘発することになるからだ。
このセーフティ機能はもうひとつあり、それが専用のパーキングブレーキだ。フットブレーキと反対方向に伸びたペダルを踏み込むことで作動。傾斜した場所でも安全に車体を駐車することができる。
一般的なマニュアル車なら、ギヤを1速に入れておけば済むことだが、SCSの構造上、エンジンが止まっていると1速に入っていてもクラッチが切れた状態になる。うっかり車体が動き出さないようにするための安全装置というわけだ。
エンデューロ競技ではこれがデメリットになるため、装着を敬遠するライダーもいる。例えば急な登り坂で転倒し、車体を起こして再始動するようなシチュエーションだ。通常ならギヤが入っていれば坂でも下がることはない。
ところが、SCS装着車ではタイヤがロックされず、だからと言って、路面状態によってはブレーキを握ることも車体を支えることもままならない場合が往々にしてあることが理由だ。その点、ストリートやサーキットではそうした状況はまずない。エンジンが始動していれば不用意に下がることもないため、特に坂道発進を苦手とする人にとっては朗報以外のなにものでもない。スロットルを握って発進の瞬間をただ待っていればよく、緊張感から完全に解放される画期的なアイテムになるはずだ。
こうして見ていくと、デメリットがなにもない。オートマチックのクルマがそうであるように、クリープ現象があるにはあるがそれほど強くなく、気になる場面ではニュートラルに入れるか、クラッチレバーを握れば解決する。とりたててネガティブな要素とは言えないだろう。
リヤブレーキのフットペダルと対極の方向に伸びているのがパーキング用のブレーキペダルだ。エンジン停止時はギヤが入っていてもクラッチが切れた状態になるため、傾斜地での転がりを防止するために使用する
疲労が少なく、利便性に優れ、通常のクラッチ操作も選択できるのだから、今後は増々SCS装着車が拡大していくに違いない。MVアグスタの最新ラインナップの中では、「ブルターレ RR SCS」、「ドラッグスター RC SCS」、「ドラッグスター RR SCS」、「ツーリズモベローチェ RC SCS」、「ツーリズモベローチェ LUSSO SCS」に標準装備されているため、試乗車などがあれば、ぜひ体感してみて欲しい。これまでにない、新しい世界を知ることができるはずだ。
最新ラインナップ SCS装着車両
BRUTALE RR SCS
253万円
最高出力:103kW(140hp)/12,300rpm
最大トルク:87Nm(8.87kgm)/10,250rpm
DRAGSTER RC SCS
341万円
最高出力:103kW(140hp)/12,300rpm
最大トルク:87Nm(8.87kgm)/10,250rpm
DRAGSTER RR SCS
286万円
最高出力:103kW(140hp)/12,300rpm
最大トルク:87Nm(8.87kgm)/10,250rpm
TURISMO VELOCE RC SCS
319万円
最高出力:81kW(110hp)/10,150rpm
最大トルク:80Nm(8.16kgm)/7,100rpm
TURISMO VELOCE LUSSO SCS
299万7,500円
最高出力:81kW(110hp)/10,150rpm
最大トルク:80Nm(8.16kgm)/7,100rpm