GPZ400Rで好調の傍らで画策をはじめたF3戦線チャレンジ!
カワサキは1985年にGPZ400Rをリリース、同社では初の水冷DOHC16バルブ4気筒で、何と他ではヒットしないフルカバードボディという異端児。
ライバルたちがレーサーレプリカ路線へと傾倒していくなか、カワサキはスポーツツーリング・カテゴリーに向いたやや大きめの車体と独自のコンセプトを貫いていた。
その好調なGPZ400Rの後継でGPX400Rを1987年に販売をスタートしたが、大ヒットを飛ばしたGPZ400R人気が衰えず、早々に継続を断念、翌1988年にZX-4を発表したのだ。
最大の特徴は、これまでと違い日本国内向けに400cc専用エンジンを開発、カワサキはそれまで日本向けは欧米の600ccクラスとベースを共有してきたが、遂に競争が激化する国内400ccクラスと本格的に取り組むこととしたのだ。
GPZ400Rが大ヒットしたというものの、ライバルたちは国内F3レースへワークスマシンを投入して、いわゆるレーサーレプリカで覇を競う闘いの渦中にあった。
しかしカワサキは半ばレーサーレプリカに否定的で、ユーザーのニーズはスーパースポーツでもツーリングユースにあるという立場から、これを意識したモデルを開発、実際に功を奏して好調な販売成績を築いていた。
とはいえGPZ400R人気にも何れ翳りがくるはずで、次世代を狙ったGPX400Rで人気を得られなかったことに危機感を覚えた。
またいっぽうでは、各メーカーが400ccの全日本F3クラスへワークスマシンを投入するのを傍観しているのにも痺れを切らしていたこともある。
そんな事情も踏まえ、400cc専用設計としたZX-4エンジンが開発された。
57×39mmのショートストロークは、規制値上限の59PS/12,000rpmで、リミッターが設定してある14,500rpmまで一気に吹け上がるピーキーさ。
F3レースのベースマシンを意識しているのは明白で、エンジンそのものがコンパクトなことからアルミのe-BOXフレーム採用もあって、車重は何と152kg(乾燥)と当時の最軽量を達成していた。
ホイールベースも1,395mmと短く、24°のキャスター角はカワサキだと2スト250ccレプリカのKR-1と同じだ。
吸気のストレート化、しかもエアクリーナー容量も大きく、最優先すべきはパワーというのが歴然と伝わってくる特性をみせる。
そしてお約束のF3レースへワークスマシンを投入、これまで待たされた鬱憤を晴らすかのようにいきなりトップ争いへ加わったのだ。
ハンドリングはアライメントから想像できるように、カワサキとしては異例といえる安定性より軽快な運動性を優先。
それはレーサーとしてのベースを意識したからに他ならない。
カワサキ乗りにしてみれば、かつてない落ち着きのないハンドリングだった。
ただ外観はご覧のようにレーサーレプリカ然とはしていない。どちらかというとツーリングモデルのカテゴリーを想像させるフォルム。
実はスリムなエンジン幅からカウルも真ん中を絞った空気抵抗の少ない空力特性だったが、そのスリムさもGPZ400Rのグラマラスなボリューム感とのギャップが大きく、カワサキファンの目を引かなかった。
この何を標榜しているのか、伝わりにくいルックスや広告キャッチなどもあって、ZX-4は鈴鹿4耐などを制覇しながら販売には結びつかず、1989年に今度は正真正銘レーサーレプリカのフォルムとなったZXR400へとバトンタッチすることとなった。
ただそのハイパーエンジンは引き継がれ、カワサキのレプリカ路線での位置づけをアピールする、大事な役割を担っていたのは間違いない。