250シングルスポーツで、スズキはカジュアル路線を選択……
'80年代の250シングルスポーツは、1983年のホンダGB250クラブマンが大人びたトラディショナル路線、1984年のヤマハSRX250Fは大学キャンパスをイメージさせるカジュアル路線、そしてカワサキは1985年の水冷CS250でやはりカジュアル傾向だった。
最後発となったスズキが選んだのは、ここまでの多数派だったカジュアル路線。
しかしそれはあくまで外観デザインやカラーリングで、開発エンジニアたちはライバルを凌ぐスペックを目標にしていた。
エンジンはDR250Sのシングルをベースに、ヘッドまわりをDOHC化、ロッカーを介さない直押し4バルブはふたつの渦流燃焼室を構成するお得意TSCCとして、燃焼室の外壁へ高圧で潤滑オイルを噴射して境界層の高温を吹き飛ばすスズキ独自の「油冷」を仕込んだ。
さらに2エキゾーストからエンジン下にチャンバーで反転させる容量を稼ぐ手法で、パワーバンドの広さとキャブレタ―の全閉からのレスポンス対策を盛り込む仕様と、内容は凝ったつくりのシングルだった。
それは水冷カワサキCS250の34psに肉迫する33ps/10,000rpmと2.5kgm/8,500rpmとパワフルで、118kgしかない車重は走れば俊足、150km/hを可能にしていたのだ。
車体まわりもスインフアームピボットとステアリングヘッドを鍛造パーツとを組んだ高剛性な仕様で、リヤサスはE・フルフローターとバネレートがストロークで変化するアグレッシブ設定。
圧倒的に軽量な重量をヒラヒラさせない安定性優先のハンドリングに注力した、聞けば聞くほど広告キャッチにあるシティランナバウトとは趣を異にするスポーツ性の高さだった。
しかも時代はレプリカの性能本意か、トラディショナルなバイクのテイスト路線かに分かれはじめていて、ライトなカジュアル・ルックスのNZ250は注目されにくい状況で、実は望外に逞しくて醍醐味を楽しめるハンドリングと専門誌で評価されても、それは伝わらずに過ぎてしまった。
こうしたノウハウが、後々マニアックなシングルスポーツのGOOSEへと反映されていったのだが、シングルスポーツの路線はいつの時代も難しさを伴う、それを知っていながらメーカーにはシングルファンのエンジニアがいて、このチャレンジが何度も繰り返されてきている。