Z1復刻イメージではない象徴が直線フレームのデザインや装備グレード!

1989年、カワサキがリリースしたZEPHYR(ゼファー)は、ネイキッドブームと呼ばれるカウルのないトラディショナルなバイクを流行らせた源流。
しかしカウルを装着しないスポーツバイクは、当時ほかのメーカーからも次々と登場していた。
なのに、なぜカワサキのZEPHYRだけが独り勝ちできたのか。
実は1984年ごろ、カワサキ社内では海外からの要望でZ1の復刻版をつくる構想があった。
その構想は消滅したが、旧いバイクを目指すのではなく新しい規準でスタンダードなバイクを考えようというコンセプトへ繋がりZEPHYR(ゼファー)が誕生したのだ。
そこには新しさとトラディショナルの融合という、実は難しい課題に対し、カワサキが絶妙なバランスで反映できたことで、成功を収めたのは間違いない。


エンジンは当時まだ空冷で存在していたGPz400Fの2バルブを流用、55.0mm×42.0mmの397ccをピークを狙わない中低速域重視のチューンで、54ps/11,500rpm→46ps/11,000rpmに抑えた。
カムシャフトは作動角を狭め、吸排気のオーバーラップも小さく設定、排気系の圧力波を効率良く利用するため、外観はショートマフラーだがエンジン下にチャンバーを設ける当時の最新モデル同様に開発されていた。
オイルクーラーは放熱量3,600kcalで依存度も相応に高く、デジタル点火など世代刷新のレベルを超えた再設計に近い手のいれようだ。
そしてエンジンのルックスにもこだわり、水冷時代に相応しいキチッとした冷却フィンを与えるなどイメージを塗り替えている。
さらにフレームは高張力鋼管を使用した前後一体式のダブルクレードルだが、メインパイプとスイングアームピボットを直線で結ぶ、いわばレプリカ系と同じ手法をパイプ構成で得るという新たな発想が込められ、スイングアームも75mm×30mmのアルミ押し出し材で、リヤサスはショックユニット上部に圧縮側減衰調整と下部に伸び側減衰調整を、それぞれ4クリックで可変とスーパースポーツ並みに装備、極めつけがリヤアクスルをカワサキのパフォーマンス路線では常套手段となっていたエキセントリック構造で締め上げる高剛性構成と、ノスタルジックな復古調とは無縁であるアピール満載だった。




車名はギリシャ神話のZephyros(ゼフィロス)西風の神に由来したZEPHYRとなり、400ccの排気量も記さない。
ご覧の発売時の雑誌広告は、港でふと出逢った女性との語らいのみ。バイクについてはひと言も触れていない。
敢えて性能を謳わないコンセプトは、却って個性として人気に拍車をかけていた。


しかしメーターを回転計が小径のカバーもない素っ気なさを気にする声もあり、1993年には好調な販売からC3型で2連のメーターユニットを表面にメッキ処理した砲弾型として、速度計と回転計は同径となり燃料計も装備された。
1992年のC4ではサイドカバーのエンブレムがステッカーから立体ロゴに。翌1993年のC5はハンドルまわりのスイッチ類を刷新、リヤブレーキのキャリパーが2ポッドだったのを1ポッドへ変更している。


1994年のC6ではほぼ変更なく、1995年のC7で黒(濃紺)と赤系だけだった車体色に初めてブルー系を加えた。
因みに4本マフラーへの要望もあったようだが、当初のZ1復刻とは一線を画したコンセプトから採用にはなっていない。


そして1996年、ZEPHYRはエンジンを4バルブ化、パフォーマンスを向上させ「χ」とサブネームも加えモデルチェンジ。
このχでは要望の多かったZ1やZ2のイエローボールなど、カラーリングについては復刻イメージを採り入れていた。
何れにしても、ZEPHYRのパワーは二の次というフィロソフィがユーザーに受け容れられたのは、日本のバイク史を語る上で大きなエポックだったのは間違いない。



