フューエルインジェクション化で空冷を残す決定のとき、再度ヤマハのスポーツバイク・コンセプトにこだわる!
1992年にゼファー1100、続いてホンダCB1000スーパーフォアがデビューした後、このビッグネイキッドの流れに加わろうとヤマハがXJR1200をリリースしたのは1994年。
輸出用ビッグツーリングモデルで空冷FJ1100(後にFJ1200)からすぐにでも転用できたのに、ヤマハが時間をかけたのはビッグネイキッドの開発コンセプトを決めかねたからだ。
そこがいかにもヤマハらしいのだが、ライバルたちはビッグネイキッドを大柄で威風堂々としていればイイとわかりやすかったのだが、大柄でも乗りやすいハンドリングとするのはどうすれば良いのか、そこの議論で紆余曲折していたという。
それだけではない。レプリカブームでスポーツバイクのフレームは、アルミの角パイプやデルタボックスフレームなどが続き、久しぶりのスチールパイプによるトラディショナルなダブルクレードルを溶接で組み上げていくキャリアのあるベテランから、新たに現場への再教育を依頼するなど、バイク歴を積んだユーザーから評価が得られるよう準備に余念がなかった。
その結果、ヤマハのXJR1200は評価も高くビッグネイキッドの一角をなず存在となったが、ライバルへの対抗で排気量を1300ccへアップしたXJR1300を1998年にリリース。
そこから10年と経たないうちに空冷エンジンには厳しい排気ガス規制の波が何度か訪れ、各メーカーで空冷を残すか否かの葛藤が繰り返される時期を迎えた。
ヤマハはXJR1300をフューエルインジェクション化で存続させることになり、同時に排気デバイスのEXUPを装備、マフラーも右側1本出しとするなど、仕様を大きく替えマーケットへ送り込んだ。
実はハンドル位置をやや低く前方とする、ライディングポジションも変更していた。
それはヤマハが長年こだわり続けてきた、安定性が先ずベースにあり、そこからリーンしたときのフロントの追従がわかりやすい穏やかさを伴う、そうした人間の感性に馴染みやすいハンドリングとする考え方。
運動性の高いシャープなハンドリングに人気を奪われることもあったが、ヤマハはユーザーのメリットは自分たちが考える方向と変えずにいたのだ。
そんなこだわりを、エンジンを刷新するこのタイミングで見直そうということになり、タイヤやサスペンションが時代の変化で進化した状況も踏まえ、結果としてライディングポジションの変更という結論へ辿り着いた。
このこだわりを反映したNewXJR1300は、2015年に生産を打ち切るまで継続し、2017年に販売を終了するまで多くのファンに受け容れられていた。
ヤマハらしいスタートでヤマハらしい一貫したコンセプトで終焉を迎えたビッグ空冷ネイキッドだった。